時計が止まりました。
普段一人でお酒を飲む事なんて1年に数回程度。
お酒は飲めなくはないけど決して強くないし
みんなと飲むのは大好きだけど、
依存しないから一人で飲む事はほぼない、
まぁおかげ様で助かってるのかな。
今日は久々に一人で飲みました。
色々な想いが駆け巡ります。
…
昭和53年12月1日
その時計はおよそ30年前から時を刻んできたのです。
ある夫婦が子供を授かる、そのさらに前から。
やがて女の子が産まれ、引越しをします、
その時も時計は一緒にチクタクチクタク
若い時計は時を刻む仕事にも慣れてきたようです。
時計は次に男の子が産まれた際も時を刻んでいました。
元気な兄弟が家中駆け回っても時計の所にはまだ背が届きません。
時計は家族を見守り続けました、
まるでその家に棲む守り神であるかのように。
いつしか男の子は時計に手が届くようになり、
綺麗に拭いてやったり電池を交換したりもしました。
満足そうな時計を見て、心なしか誇らしげに微笑みます。
およそどこの家庭にもある様々な出来事を、想いを、その時間を、
12進法の円盤に刻み続けて来ました。
時には見守り、時には厳しく、そして暖かく見守り続けた30年でした。
今まで一体何周したのか…もはや時計自身にもわかりません。
冬を目前にして澄み切ったある秋の日、
時計は動くのを止めました。
秒針が止まると、まるで時間が切り取られたように、
今までなんとなく過ぎていた時間が押し寄せて来ます。
様々な出来事が、想いが、その時間が巡り巡ります。
幸不幸、善と悪、運命、そんな言葉では語れない想いがある事を
動かない秒針が物語っています。
少しの疲れを隠しきれない時計は、
それでいてなお凛としています。
誇らしげに、微笑っています。