お給料って
給料について考えてみた…、ピアノ弾いた時はギャランティーと呼ばれる収入。
これって当たり前だけど、社会に対する己の対価なんだよね。この社会っていう〜全にして一にして全〜みたいな曖昧模糊なモノが、その[お給料]って呼ばれる金額分、その人間を必要または感謝している。って便宜的に決めたとして、
…それじゃぁ一体どのようにして自分本来の価値を高める事が出来るかな…?
なんて考えたりするんだ。
俺の会社は営業会社だからそこらへんはインセンティブってモノで対応してるんだけど、それがそのまま社会からの対価とイコールになってるかは正直わからない。
音楽についても一緒。しかも『いい演奏』の定義がないことが更に問題に輪をかける。
みんな社会って実際にある架空のモノに労働を捧げて給料を受け取り、代金を支払い、消費財を得る。
その連鎖の中で、機構の歯車の中で、みんなは個々で生きてる。
それを繋いでいるのは、信頼を作っているのはキタナイ意味ではない、対価としての金兌換券なんだ。
とてもよくわかる。シンプルだし、公平だし、理に叶ってるし、間違いがない。
でも…そんなの嫌だ。
本来、労働、給料、支払い、消費財そのすべてのプロセスで笑顔になれる筈だ。
実際会って話すとその人の背景や徳って伝わってくるんだ、
俺は、そんな、その人の笑顔でその人を評価したい。